【私の伝える道~SNS編】 めんどくさいを工夫する
「わたしは毎日ゲームとYouTubeのことばかり考えています」
ここ数年、取材を受けるときに、場が和むかなと考えて話すことばです。 不思議なご縁をいただいて、お寺や仏教をテーマにした「ボードゲーム」、つまり、おもちゃを2015年からお作りしております。
お寺に生まれてお寺で育った私。お仏飯をいただいたご恩返しに、なにかできないか。いろいろと模索するなかで出会ったのが、キリスト新聞社『バイブルハンター』というカードゲームでした。 カードゲーム!これだ!おもちゃを前にしたら、人は楽しもうと自分から胸を開いてくれる。ちゃんと遊ぼうと思った人は面倒な説明書も読みこむはずなので、中身にお寺の文化や仏教が染み込んでいれば、深い理解につながる。プレイ内容にも染み込んでいれば、製作者の意図した行動を取ってもらうこともできる。さらには、お坊さんがその場にいなくともゲームが代わりに話してくれるし、こんなゲームがあるんだよ!と遊んだ人が紹介してくれるかもしれない。
ゲームとは、まさに布教アイテムにぴったりだと気付いたのでした。 臨済宗では「まぁ坐れ」とよくおすすめします。とりあえず坐禅をしてみてくださいと。もちろん説明を丁寧にいたしますが、耳で聞いた知識だけではいけないと言うのです。自分の肚に落とし込む時間、自分ごとにするきっかけ、まるで自分でそのことに気付いたかのような「実践的で自主的な行為」を求めるのです。
頭での理解だけではすこし足りない。自分からやってもらうことで、本当に自分で考えることにつながっていく。臨済宗らしさのひとつだと感じています。
そしてこの「自分から」が大切という精神は、ボードゲームにも通じているように思います。 手を動かして遊ぶボードゲームとは、正直めんどうくさいです。複雑なルールを覚えないといけませんし、一緒に遊ぶ人たちとルールを共有する必要がある。スマホゲームや携帯ゲーム機であれば機械が代わりにやってくれますから楽なのです。
この「めんどうくさい」は障害でもありますが、ハードルを乗り越えるからこそ楽しみを味わうことができます。いかに「めんどうくさい」を「自分から」乗り越えていただくか、どの業界においても工夫が試されています。 仏教世界で言うならば「めんどうくさい」仏の教えを「自分から」味わっていただくにはどうすればいいか?僧侶に工夫が求められています。 たとえば、お知らせを郵送する。元気ですかと電話をする。毎月のお参りで会ってお話をする。 さらには、検索すれば出てくるようにホームページを用意しておく。法話会などのリアルイベントや、オンライン坐禅会などインターネット上での和合を深める機会を紹介するTwitter寺院アカウントやLINE公式アカウントを運営する。インスタグラムでお写真からお寺の雰囲気を届けて、実際に足をお運びいただけるようにうながす。クラウドファンディングで注目と、現資金を集める。
市井の人は(お坊さんもそうですが)スキマ時間にTwitterやインスタグラムなどを見ているわけですので、お寺もその世界に進出しないと接触機会が取れません。紙の現実味やリアルの会話の力強さも大切ですが、連絡手段としてや生活空間としてSNSの活用も布教においては大切なようです。
『私の伝える道』、その手段はさまざまだと思います。僧侶の姿・背中で語る。お知らせを郵送するなど文字で届ける。掃除の行き届いたお寺や墓地の風景を見せる。ゲームで遊ばせる。動画を見ていただく。 一方的に音が届くだけなのか、伝わって「めんどうくさい」仏の教えを「自分から」味わっていただくまでいくか、は発信側には分かりません。しかし、ボールは投げ続けるしかない。反応を調べ続けるしかない。
お寺のYouTubeチャンネルを週1ペースで地道に更新しております。わたしは有名な人間でもありませんし、歴史ある坐禅会が続いているわけでもありません。ただ檀家さまにコロナ禍となって、お寺にいけない!お墓まいりできない!という連絡をいただいて始めました。 スマホ、タブレットやパソコンの画面を通してお参りいただく。お坊さんの話を聞いていただく。坐禅を一緒にする。動画はどうしても受け身になってしまう。でもせっかく動画を公開、更新していくなら、参加型にしなければ意味がないのではないか。 「めんどうくさい」仏の教えを「自分から」味わっていただけるように、話を聞いた感想を自分で考えて後コメントするように促したり、仏教井戸端会トークでもおなじみのお題法話をオンライン坐禅後にしてみたり。 YouTubeもSNSであり、連絡手段や情報提供の手段にすぎません。ボードゲームもそうです。それぞれに特性があり、長所があれば短所もある。ここを見極めなければならない。この諦めから工夫は始まるのです。
「涅槃図(ねはんず)」という仏教美術があります。 仏教のはじまりとなった人、お釈迦さま。彼が亡くなったと聞きつけ、横たわる中央の宝台を囲むようにさまざまな人物、動物や虫たちが集まる絵です。 現代でも題材として描かれることのある「涅槃図」。2月15日のお釈迦さまのご命日に、この絵を掲げて法話や解説をする涅槃会・常楽会が有名です。
では「涅槃図」は、わたしたちに何を伝えようとしてくれているのか。第一番目は「死」という現象ではないか。 理想の死に方、理想の生き方があると人は言います。あると思っているのは、なにかしらの想いがあるからかもしれません。ピンピンコロリで死にたいなと期待する想い、もっとああすればよかったと後悔する想いが。
ただ間違いないことは、どんな死もどんな生き方も、どれも普通の死であり、普通の生き方でしかないということです。 この事実とは「めんどうくさい」ものでしょう。しかし、「自分から」ここを見つめる必要があるんだぞ、と涅槃会や涅槃図が言いたいことなのではないでしょうか。平面のイラストにすることで目を引く、視覚的に理解しやすい手段が、この「涅槃図」の工夫なのです。
そうは言っても忙しい毎日に疲れている人々に、「めんどうくさい」死という現象を「自分から」考えてもらうのはなかなか難しい。どうすればいいか。ワクワクした気持ちになるおもちゃ・ボードゲームを使ったらどうか。 SNSであろうとも、YouTube動画の法話であろうとも、辻説法であろうとも、ボードゲームであろうとも、お寺のお便りであろうとも。特性を見極め、工夫する。私の伝える道なのです。
2023年2月15日の涅槃会に向けて、この「涅槃図」をボードゲームに仕立てたいと考えています。 ルールは簡単。ぺろっとめくったカードに描かれたキャラクターを(簡略化した図柄で)描くだけ。完成したとき「こんなふうに描いてください」という目標に沿っていれば得点です。 現代の勧進ともいえるクラウドファンディングを用いて、みなさまにお知らせさせていただきます。関連イベントとして、涅槃図絵解きや事前体験会なども行います。どうか皆さまご一緒ください。
「涅槃図(ねはんず)」をお絵描きするボードゲーム『おえかきネハンズ』を作りたい – クラウドファンディングCAMPFIRE https://camp-fire.jp/projects/620732/ いかがでしょうか。ご査収下さいませ。 なおクラウドファンディングは10/31、月曜日までです。どうぞよろしくお願い致します。
向井真人
臨済宗陽岳寺副住職。
陽岳寺ウェブサイト https://www.yougakuji.org/