【テラ未来予想図Ⅲ】第三回「電車で席を譲るような感覚」

myonin 松村妙仁

加藤巍山さま

 10月に入り、お寺の周りでは稲刈り真っ盛り、実りの秋となりました。

早苗から大きな稲に育ち、黄金色の稲穂になる過程を側で見てますと、人も同じ時間を過ごしながら、稲のように成長できているのかな、実りある毎日を過ごせているのかな、と考えてしまいます。人生の実りとは、なんでしょうね。実りの時期はいつなのでしょうか・・・その時期は来るのでしょうかね・・・。自然から学ぶことが多い毎日です。

 私が住む猪苗代では、秋は美味しいお米と共に、新そばの季節でもあります。巍山さんはそばの花を見たことありますか?通常は白い花なのですが、最近は”赤そば”と言われる赤い花を見かけることもあります。これは「高嶺ルビー」という品種で、ヒマラヤ原産。標高3800メートルの場所から持ち帰ったものを品種改良し、日本でも育てはじめているそうです。ルビー色の綺麗な花なんですよ。赤そばはまだ食べたことありませんが、通常よりコシが強いとのこと。美味しい新米と新そば。フルーツ王国でもある福島は、食べ物が美味しい季節となりました。

 東日本大震災のこと、被災地に仏像を届けるお話を聞かせていただき、ありがとうございます。「電車内で席を譲るような、そんな感覚で東北と関われたら」という言葉、素敵ですね。同じ列車に乗って、席を譲ったり、譲られたり、時には途中下車しながら、一緒に目的地へ向かうような感覚でしょうか。東日本大震災に関わらず、生きてゆくということは、知らず知らずのうちに同じ目的の列車に乗ったり、違う列車に乗り換えたり、再び相席になることもあったりするものなのかもしれませんね。巍山さんのお手紙を読みながら、そんな事をイメージしていました。

 

 私は、東日本大震災が起きた当時東京に住んでおりましたので、当時の事を聞かれると胸がキュッとなる感覚があります。福島出身でありながら、あの時福島に居なかった、ということが今の活動の原動力でもありますし、これからも共に生きてゆく想いであります。テレビや新聞などで報道された、海沿いで読経する僧侶達の姿。海に向かって手を合わせる人々。いろんな世代、日本全国の方々が、祈り、手を合わせるという姿に、祈りとは何か、信仰とは何か、神や仏とは何か、と考えた時間でもあります。大切な人との別れ、突然の別れなど、理屈では解決できないことが起きた時、なにか超越した世界を拠り所とし、求めるのではないか、と思っています。自分なりに肚におとす、折り合いをつけながら生きてゆくものなのかな、と。それを知りたい。感じたい。見えない世界を見てみたい。そんな想いもあって、仏門に入ったのかもしれません。まだまだ見えない、わからないことばかりですが・・・。

 巍山さんも出家、得度されているのですよね。仏門に入る前と後で、違った感覚などはありますか?仏師としても影響がありますか?巍山さんはどんな世界を見ながら、木と仏とご自身と向き合っていらっしゃるのかなぁと。大変興味があります。もしよろしければお聞かせください。

朝晩だいぶ涼しくなりましたね。季節の変わり目、どうぞご自愛ください。

松村 妙仁



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