【私の伝える道~SNS編】 甘くない!僧侶のSNS発信はいばらの道

仏教の情報発信はもはや常識?

「お寺にお参りしてもらうことは難しい。」
「仏教へ関心を持っている人は少ない。」
「過疎高齢化で寺院の存続に不安がある。」
伝統仏教にまつわるネガティブな言葉はいたるところで耳に入ります。私自身もまったく同じ思いで、島根県の山奥にある高善寺がいったいいつまで存続できるのだろうかと不安になります。

なんでもスマホで検索する時代になり、インターネット上にHPが無ければ存在しないものとされるようになってしまいました。今では寺院でHPを運営しておられるところも一般的になりました。

またSNSもこの10年で一般的になり、今度はSNS発信をしなければ情報は届かないなどと考えられるようになりました。各SNSでは様々な僧侶が活躍するようになりました。

インターネットによる仏教の発信が必要かどうか、私は半分正解、半分は違うかなとも考えております。このコラムでは、一連のSNSを体験しながら、考えていることを紹介しますので、これからSNSとどう付き合っていくか考えたいという方や、仏教の情報発信の未来に関心のおありの方はぜひ最後までお付き合いくださいませ。

SNSの歴史

ごく簡単にですがSNSの歴史を概観してみましょう。時代の変化のスピードを改めて感じることができます。

2004年にmixiやGREEがはじまりました。
2006年、アメリカでFacebook、Twitter、YouTubeのサービスが開始される。
2007年にAppleからiPhoneが発売され、携帯電話の概念が大きく変わりました。
2008年、Twitterが日本で始まります。
2012年には4Gは始まり、スマートフォンでスムーズに動画や画像のやりとりができるようになり、この年にInstagramがリリースされます。
今では誰もが使っているLINEは2011年にリリースされています。まだ10年しか経っていないことに驚きます。
2020年に入り、TikTokというショート動画を使ったSNSがはじまり、動画を使ったコミュニケーションがより一般的になりました。あまりの変化の激しさに「ついていけない」と私自身も感じています。

武田のSNSの歴史

私自身は特にITに強いわけでもなく、一般的な流行が来たらちょっと使ってみる程度でSNSと付き合ってきました。それぞれのサービスが開始して2,3年したらようやく使い始めていたくらいかと思います。

「僧侶として」SNSが活用できると思い始めたのが、2012年、私は27歳のころでした。社会人になり人間関係が広がるなか、同世代で起業し、SNSやHPを駆使して活躍している人にはじめて出会い、そこで情報発信の重要性を教えてもらいました。
それからは、出会った人とはFacebookで友達になり、Twitterでバズるのにいいネタが無いかと探しながら日々を過ごしていました。それなりに楽しく使ってはいましたが、意味があったかというと、ほとんどは時間を無駄に使っていたような気もします。

そんな私に転機となったのが2019年、33歳の秋、「YouTubeをやってみようかな」と思い始めました。
既存のSNSをやりながらもあまり意味を感じられずにおりましたが、YouTubeであれば「法話ができるじゃないか!」と気づいたのです。これなら過疎寺院でも関係ないし、新たな可能性があるかもしれないと期待していました。

Youtubeでの苦悩

Youtube【武田正文の仏心チャンネル】を開設したのが令和元年大晦日。ちょうど新型コロナウィルスが話題になり始めた時でした。当時は、仏教系YouTubeはまだ少なく、「僧侶がYouTubeをするなんて」という雰囲気もありました。

今、このコラムを執筆しているのが2023年3月でYouTube解説してから3年が経ったところです。コロナ禍を通して仏教がYouTubeで発信することは一気に広まりました。私ははじめたタイミングがよかったということだけで、たくさんの方に注目していただけるようになりました。

総合的に見るとYouTubeへの挑戦の良かったことは大きいのですが、反対に苦しみとも多く向き合ってきました。
動画の撮影、編集はとても大変な作業で膨大な時間がかかりました。見られるかどうかわからない動画に多くの労力をかけるということは心身ともに負担は大きかったです。
そして、なによりカメラの前で話をすることの「恥ずかしさ」が大きな苦悩でした。編集作業で何度も動画を見直すと、自分の表現の稚拙さや悪い癖と何度も向き合うことになります。心が折れそうになるのは毎日のことでした。
炎上するということはありませんでしたが、心無いコメントを目にすることもあります。視聴回数やチャンネル登録者数の推移に一喜一憂して心が揺さぶられてしまいます。

Youtubeの魅力

愚痴はここまでとして(笑)、SNSやYouTubeの魅力を紹介します。
「たくさんの人と交流できる」これが何よりも貴重な体験でした。YouTubeもSNSの一つであり、一方的な発信ではなく、視聴者の方からコメントをいただきます。実は僧侶が誰かからコメントをいただくという体験はほとんどありません。法事に参っても、ご法話をしても、参列している方から感想をいただくということは珍しいことです。お互いにやり取りをしながら、仏教について考えていくことは、自分にない気づきを得られ、その後の法話に活かすことができました。

「一度作ったものがずっと再生される」というのもYouTubeの大きな魅力です。一つの動画を作るのには大変な労力がかかりますが、一度作ったものが、何年も視聴されます。自分は何もしていないのに、誰かが動画を喜んでくださっているというのは、今までにない新しい体験でした。
そして「世界が広がる」というのが個人的には一番意味のあることでした。インターネットの世界で発信をすると、今までの自分では出会えなかったような方と時間も場所も関係なく繋がることができます。山奥で一人で考えていることを誰かに届けるのは大変なことですが、インターネットの世界にそのアイディアを置いておくと誰かが見つけてくれます。そして、その人がまた別の人とのご縁を作ってくださります。

以上のような魅力は、望む人とそうでない人がおられると考えております。ですので、SNSでの発信というのはその人の個性によって、向いている人とそうでない人が分かれるようにも思っております。
(最近では閉じられた安心できるSNSもできてきましたので、今私が話しているようなことは数年で解決していくのかもしれません)

仏教とSNSの始まりは御文章?

本願寺第八代御門主の蓮如上人は、手紙という伝道スタイルで全国に浄土真宗の教えを広めました。「わかりやすく」「たくさんの人に伝える」という点はSNSと共通します。おそらく御文章をご制作なさるときには大変な苦悩があったことだろうと思います。言葉をどう選ぶのか、誤解されるリスクはあるだろうか、いろいろな不安を抱えておられたことでしょう。しかし、こうした不安を乗り越えて発信をしていただいたおかげで、今のように仏教、浄土真宗が全国に広く届いたというのはとてもありがたいことでございます。

もし現代に蓮如上人がおられたらSNSをご活用なさったと想像しております。親鸞聖人も晩年には、ご和讃という伝道スタイルをとっておられましたが、こちらも「わかりやすく」「たくさんの人に伝える」という点を意識しておられたのだろうと思います。私たちが、親鸞聖人や蓮如上人と同じように、というわけにはなかなかいきませんが、それでも一人の僧侶としてできるかぎりのことは、不安を抱きながらも挑戦していきたいと考えております。

実はSNSは自分との対話

「たくさんの人に伝える」ためにはじめたSNSですが、続ければ続けるほどに自分の見たくない部分が見えてきます。登録者数や視聴回数に一喜一憂し、上手くいっている人を見ると嫉妬します。
動画で自分が話しているところを編集しながら何度も振り返ると、自分の癖や表現の下手なことを突きつけられます。「人気の出る動画を作ろう」と考えると、自分が何を本当に作りたかったのかを見失ってしまいます。

外向けに発信し続けると、自分の中身が空っぽになっていく感覚がありました。何もできない自分の小ささもよく分かりました。これからの時代、すべての人が世界と繋がり便利にはなるものの、自分の小ささをより強く実感するようになるかもしれません。
どうしてもテクニックとしてSNSやYouTubeを活用することを考えてしまいますが、本質的にはそのなかで見えてきた自分の姿をしっかり見つめ、そのうえで生まれた言葉を大切にしたいものです。

貴重なご縁を仏教井戸端トーク様にいただき、長々と自分の思いを書かせていただきました。最後までお読みいただきありがとうございます。ご意見ご感想などあれば、各種SNSでお気軽にご連絡ください。URLを記載してご紹介いただけるとなお嬉しいです。どこにいても繋がれる時代です。ご一緒に仏縁を喜びましょう。

武田正文

浄土真宗本願寺派高善寺住職 

広島大学大学院教育学研究科心理学専攻修了後、精神科病院で心理療法士を経験し、現在は法務のかたわら学校や企業でカウンセラーとして臨床に携わっている。

臨床心理士、公認心理師、広島大学客員講師、YouTube「武田正文の仏心チャンネル」、山陰中央新報「教えの庭から」連載中、中国新聞セレクト「仏教と心理学でビジネス考」連載中。

高善寺HP: https://kozen.or.jp/



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