【書評】『住職はシングルファザー』(増田&事務局横川)

書評の前に、今回紹介する池口龍法さんが出演するイベントが本日開催されます。オンライン配信もされますので、ぜひご参加ください。
詳細はこちらをクリックしてください(「フリースタイルな僧侶たち」15周年記念特別イベント開催!)。

『住職はシングルファザー』池口龍法著・新潮社を読んで。(増田)

新潮社『住職はシングルファザー』池口龍法著 購入HP https://www.shinchosha.co.jp/book/611058/

著者の池口龍法さんとはもう長い付き合いで、彼が「フリースタイルな僧侶たち(略して「フリスタ」)」で出版したフリーペーパーに衝撃を覚えたとき、活発な僧侶が現れたものだと思い、早速池口さんへ「良い活動ですね」とメールを打って、フリスタのお手伝いを始めて以来になる。

お手伝いと言っても、池口さんが何かをしたいという事に対して「いいね」と賛同するくらいで、あたかもFacebookのいいねボタンを押す係のようなものであったが・・・。
そんな役割に過ぎなかった私ですが、池口さんが考えるアイディアはとても面白く、楽しい時間でした。

ただ本人は書籍に書いてあるとおり、お寺の活性化や檀家さんとのお付き合いと、いろいろと苦労されている。前例のない事というのは想像がしにくいので不安がつきまとう。

私も僧侶になりたいと言ったときの両親は不安でしかなかったであろうと思う。両親にとっては、仏教界という知らない世界へ入っていこうとする息子に対してどんな言葉をかければ良いのかわからなかったのではないだろうか。にもかかわらず背中を押してくれた両親には感謝しかない。あの時がなければ今の私はいなかったと思うからだ。

池口さんもたぶん同じように、シングルファザーに対してとても不安であったであろうと思うが、この書籍を読んでみると、私と同様に、池口さんも自分自身や、お寺がたくさんの方の支えによって成り立っていることに気がつくという「感謝」が詰まっていて、読者も「決して1人じゃない」という事に気づける書籍なのではないだろうかと思う。

お寺はたくさんの方に関わっていただいてはじめて成り立つ場所・空間である。
―あのお寺大丈夫かしら?
―最近、ご住職見えないけど大丈夫かしら?

と、ご近所から見ていただきながら、維持し、育てられていく場所が理想的だと思う。アイドルプロデューサーなど奇抜な企画も多いが、一番池口さんが理想としていることは、お寺に来てもらいたい、知ってもらいたいという思いだ。

この書籍は、池口さんが子育てに悪戦苦闘しながらお寺を身近に感じてもらいつつ、等身大のお坊さんというものが伝わってくる書籍で是非皆さんにも読んでいただきたい1冊である。


書評『住職はシングルファザー』(事務局・横川)

私と池口さんには、共通の酒呑童子がおり、よく呼ばれては、深夜の京都で会うというのがほとんどで、シラフで話し合うようになったのは、初めて出会ってから1年が過ぎた頃だった。古い付き合いになった。

さて、本書は、元々は新潮社のオンラインメディア「考える人」で連載されたコラムで、そこに加筆修正され、書籍化されたものなので、書籍になる前から読み知っていた人もいると思う。

コラムというものは読まれてナンボなので、初回の内容は非常に衝撃的だった。
両親に反対された相手と結婚し、守り抜くことができず離婚するという内容であった(私は、結婚していたことも離婚したことも知っていたが、経緯は知らなかった)。
そして、連載だから、次回を期待させるところでコラムを終えないといけない。したがって、初回のコラムだけを読むと、ろくでなし僧侶という印象を与える形で終わる。

当然だが、初稿が公開されたあとのネットのコメントには、否定的、批判的、脅迫的なもののオンパレードであった。オンライン時代の初回コラムでネガティブな感覚を持ってしまい、それ以降読むのをやめてしまった人などは、ぜひ本書を手にとって読破してほしい。間違いなく、最後には印象が180度変わる。

冒頭があまりにも赤裸々な私生活の暴露であったため、知りたくない内容が延々と続くように思われるかもしれないが、実際は読み進めると、さり気なく法話チックな内容が紛れ込んでくる。しれっと入れてくるところが著者らしい。

しかし、この「法話チック」な部分だが、頭で理解していた仏教が、目の前にいろんな形で現れる苦しみを体験して腹落ちするという過程が記録されており、これは浄土系仏教の宗祖たちの経験をトレースしていると言える。

そして、当たり前だが、堅苦しい内容ばかりではない。子育ての大変さが描写されており、人の親なら親として共感できるところが数多くあるであろうし、子どもがいない人でも、自分の子供時代と重ね合わせて、自身の親への感謝が湧く。
また、著者の長男の素直すぎる言動に親が学校で大変な目に合うくだりは、第三者として読むと笑えると同時に、かなしいかな、完全に自分から「純真」というものが消えて無くなってしまったことを痛感させられる。ま、仕方ない。諸行無常だし。

結婚、離婚、シングルファザーとしての仕事と子育ての両立の難しさ、孤独さなどが書かれているものの、誰でも最初から人を傷つけようと思う者はいないし、最初から人の人生を狂わせようと思う人などいない。しかし、様々な縁によってそうした結果になってしまう場合もある。しかし、そこで腐らずに立ち上がろうと新たな苦悩を受け入れると、また別の縁によって眼の前が拓ける。
こんな重めの内容が250ページ足らずの文章を通して追体験できてしまう。具体的なエピソードは、なかなか体験できないことだらけなので、本で疑似体験してみてほしい。

最後にもう一つ。様々な体験によって人間的な変化をもたらされた著者だが、一貫して変わっていない部分もある。それは、「固定概念への抵抗」である、反対された結婚から、無謀なシングルファザーへの転身、批判を恐れずに風変わりなイベントを次々打ち出す企画力と実行力。こうした部分は一貫して変わってない。この反体制的性格(いい意味で)は、どこで醸成されたのか、ここの掘り下げがあまりなかったが、個人的には興味を強く持った。このあたり、もっと坐禅などに励んで「考えて」文章にしてほしい(笑)。

著者は、もともと屈強なメンタルの持ち主だが、こうした体験を通して、さらに強くなっちゃったな。たぶん。



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