【書評】お寺の掲示板
意外かもしれないが、神社には「説法」という概念がない。お坊さんが檀信徒さんを前に仏法を説くのに対し、われわれ神職は氏子さんに何かを「説く」ことはあまりない。もちろん、祭礼や祈祷、会合の折に皆さんに行事の意義や由来、神道の考え方をお話することはある。これを「社頭講話」と言うが、熱心に行っている人は少数派。神様へ何かを伝える術は学んでいても、人間に伝えることは不得手である。
私はこうした現状を残念に思っていて、人前でお話する機会をいただいた時には全力で行うようにしている。でも何かを伝えるにはどうしてもある程度の時間が必要なもの。時にはごく短時間で、誰かの心に「刺さる」言葉を発することも有効だ。だから以前からお寺の掲示板には関心を持っていて、時に立ち止まって言葉の意味を考えてたりもしていた。
「お寺の掲示板 諸法無我」は「耀け!お寺の掲示板大賞」で選出された作品を紹介したもの。この賞は2018年に始まり、SNSにお寺の掲示板の写真を投稿して、内容の有難さや面白さが競われるという実に面白い企画である。立案者の江田智昭さんはダイヤモンド・オンラインにこの紹介を連載していて、本書はその書籍化第二段である。
いずれ劣らぬ傑作ぞろいだが、私が目を奪われたのは「隣のレジは、早い」という言葉。「他人の芝生は青い」にニュアンスは似ているが、インパクトが全然違う。本書の中で池口龍法さんが掲示板に書くことを「渾身の創作活動」だとコメントを寄せているが、それぞれのお坊さんが、いかに真剣に考えているかがよく分かるように思う。
現代社会には常に「比較」がつきまとう。成績、ファッション、資産……。
それだけなら昔から変わらないが、インターネット社会になって特に感じるのは「お買い物の比較」である。例えばパソコンを一台買うとする。電気屋さんに行けば膨大な数の機種。ネットで買おうとするとさらに凄い。予算を決めてもスペックを比較しなければならないし、スペックが決まっても出来るだけ安いお店やサイトで買おうと皆、比較に膨大な時間をかける。その労力と時間をお金に換算したらむしろ、損しているのではないかと思うくらいだ。
比較せざるを得ないのは、選択肢が増えたから。
それもネットという空間を経由することで選択肢は無限に増殖した。だがこの掲示板の言葉にあるように、比較によって他者を羨む気持ちが生まれ、時に相手を憎む気持ちにまで発展するかもしれない。人間存在は他者との関係性に成り立っているのは自明だが、絶え間ない比較の連鎖に引きずり込まれては、何のために生きているのか分からない。
でもこうしたことは、誰かにくどくどと説教されてもどうしても素直には耳を傾けられないもの。ショート・ステイトメントだからこそ、心に響くのだ。
お寺の掲示板、いいなあ。よし、私も始めよう。名づけて「お宮の掲示板」だ! あ、私も比較の罠にはまったかも。
石﨑貴比古
常陸國總社宮禰宜。1978年茨城県生まれ。東京外国語大学大学院博士後期課程修了。学術博士。出版社勤務を経て、常陸國總社宮の禰宜を務める。フリーのライター、編集者としても活動中。神社、神道、仏教など宗教関係のテーマ以外にも、アートやマンガ、恐竜、ロボット、宇宙といった幅広いジャンルの記事を手がけている。また、東京外国語大学特別研究員として前近代の日印関係、日本人の異国認識を研究中。著書に『きれいな心のつくり方』(文響社)『日本における天竺認識の歴史的考察』(三元社)がある。
常陸國總社宮ウェブサイト www.sosyagu.jp