【テラ未来予想図Ⅲ】第四回「『使命』・・・命を使うを考える」
松村妙仁
加藤巍山さま
こんにちは。お変わりなくお過ごしでしょうか。
お寺がある、福島県猪苗代町にも春がやってきました。雪国にとって春は喜びの季節です。今年の冬は積雪が少なめでしたが、それでも雪が融けて、草花や木々が芽吹く春は新たなスタートを感じる季節。気持ちも明るくなります。
この往復書簡も昨年3月からスタートし、もう一年になったんですね。
今年は震災と原発事故から丸12年。仏教的には十三回忌法要にあたり、コロナも少し落ち着いてきたということで、法要や行事も各地で多く執り行われているようでした。当時の映像や記録が数多く報道され、それを見る度に、少し気分が落ち込んだり、あの時自分は福島にいなかった、なにもできなかった、と自責の念にまた引き戻されるような感覚があります。考えたくないことでもあり、今の自分の原点や源でもあり、「喜びと悲しみは光と影のように、いつでも寄り添うもの」(たいせつなひと/さだまさし)という歌の歌詞も頭によぎる3月でした。そして、12年前の自分と今の自分。この12年何をしてきたか、成長できているのか、と考える時間でもありました。
巍山さんは、どんな3月をお過ごしでしたか?3月に個展を開かれたのですよね。震災の慰霊祭などに重なり伺えずに大変残念でした。3月開催を選んだのも理由があったのでしょうか・・・?
前回のお手紙で、巍山さんの大切なお話を聞かせていただきありがとうございます。
「得度は、自分自身を磨き続け、まだ見ぬ領域へ進むために必要だった」という内容。先に進むための”鍵”のようなものだったのかな、と私なりに解釈しながら読ませていただきました。そして読みながら、以前、私の恩師が言った言葉を思い出していました。
「学ぶということは、階段を登っていくようなもの。学びを重ねていくことで今まで見えなかった景色が見えるようになる。それと同時に”自分には見えていなかった景色がまだまだあったんだ”と知るようになる。そしてその先には何が見えるのか、どんな景色や世界が広がっているのか見てみたいという気持ちになり、それが学びたいと思う源になる」という言葉です。
これは学びに限らず、生きていくこと、毎日を重ねてゆくことも同じですよね。喜びも悲しみも苦しみも、新たな経験を繰り返しながらの毎日。まだ見ぬ世界に不安や期待などを行き来してゆくのが生きることなのかな、と。その中で自分の存在意義とか、生き甲斐ならぬ、死に甲斐はなんだろうと思ったりもします。自然であれば、木の葉は枯れても土に還り、次世代への栄養となっていのちの循環の一部へと繋がっていく。人も血縁か否か関係なく、今の自分が次世代へのリレー選手として、何を繋げることができるのだろうか、どんなバトンを渡せるのだろうか、私の使命とはなんだろうか。とグルグルと答えの出ない問いを考え続けています。
命を使うと書いて「使命」。いただいた命を全うし、使いきる。巍山さんの使命とは、どのように考えていらっしゃいますか?よろしければお聞かせくださると嬉しいです。
季節の変わり目、どうぞご自愛ください。
松村 妙仁