【テラ未来予想図Ⅲ】第二回返信 東日本大震災のこと。。

gizan 加藤巍山

松村妙仁 様

ご無沙汰してしまいまして大変失礼いたしました。
春にお手紙を頂戴してから立秋を過ぎ、お盆になってしまいました。
今年の夏は例年になく厳しい暑さに見舞われていますね。

福島の春は地元の方にとってはひとしおなのでしょうね。
いわきや会津を訪れたことがありますが、その度に福島の春はとても優しく美しいと感じます。
厳しい冬を堪え、春を待ち侘びる思いがそうさせるのかもしれませんね。

松村さんも音楽関係の道を進まれていたのですね。不思議なご縁を感じます。
今、お寺で行っておられる活動にもそれらの経験が活かされているご様子…
今のような時代にあって、地元の方たちとの触れ合いや不安や孤独を抱えている人たちにとっての拠り所になっているようにお察しします。

ギタリストから仏師という、まるで違う世界に進んだようで私の中では変わっていないように思います。
それもまた松村さんがお感じになられている感覚と一緒ですね。
今改めて思うことは、その当時、苦しかった事や道を諦めて違う道を歩んでゆくことになったことも、全ては仏様のお導きだったと気づきます。
また、すべては繋がっているんだな…としみじみ思います。

仏様は、ちゃんとその人その人に相応しい道をお示しくださいますね。

東日本大震災のこと。。
あの恐怖を覚えるほどの強い揺れを関東で経験し、恐怖や喪失感、無力感の中で祈り続けた日々、仏師として今何が出来るか、何をせねばからないのか…
関係のない私が傷ついた東北に関わっていいのだろうか…、といって何ができるのだろうと、
くる日も来る日も自問自答を繰り返し、そして「何もできないけれども彫ることはできる」という思いに帰結しまし、
『亡くなられた御霊を鎮め、愛しい人を失った方…生きながらえながらも深い悲しみ、苦しみの中におられる方に寄り添えるような仏像を届けたい』と思い立ったのです。
そうして京都の仏師と2人で被災地に届ける仏像の制作は始まりました。。。

当初、SNS上では「偽善」や「そんなものは要らない」という部外者からの声もありました。
その中には「加藤ギゼン(巍山)」とも揶揄されました。
あの当時は誰もが「自分の正義」というもので他者を排斥するような風潮がありました。
私は「あなた方にはあなた方のできることで東北と関わってください。私は私のできることで東北と関わっていきます」と宣言し、
誰もが電車内で席を譲るような、そんな感覚で東北と関われたらと思ったのです。

松村さんも差し支えなければ東日本大地震のこともお話しをお聞かせいただけたら幸いです。
あと、個人的に猪苗代の四季折々のことや食べ物のことも伺いたいです。
食いしん坊なので。。。

ではでは、お手紙楽しみにお待ちしております。

加藤巍山



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